【父の魂が体を離れる予感】
私が社会人になってから一度父が大腸癌で手術をしたことがあり、
あの時はとても心配で仕事が手につかなかったことを思い出しました。
会社から近くの病院だったので手術後にお見舞いに行くことができました。
血の気の引いた弱々しい姿に少し驚き、
会社のストレスを相当に貯めていたのが原因だろうと思っていました。
その後再発もなく元気に過ごしていましたが、
父が会社を引退して東京から引っ越しして10年以上経ってからだったと
思いますが、持病の高血圧からくる腎不全で、透析をするまでになって
しまいました。
そこからは1日おきに透析をしにいく生活が続き、
70歳後半からは心筋梗塞で倒れて手術したり癌の手術をしたりと
入退院を繰り返していました。
そんな父を支えていたのは間違いなく母でしたが、
父が頑固でいつまでも母の言うことを聞いてくれないことをとても
嘆いていました。
母はもっと元気でいてほしいただそれだけが望みだったのですが。
私が知っている限りでは父は母に感謝の気持ちをきちんと言ったのを
聞いたことはありませんでした。
亡くなる1年ぐらい前に膀胱癌が再発し体力的に手術は難しいのではないかと
言うことで、そのまま手術はせずに病院に入院することになりました。
入院してからの父は殆ど話をしなくなり、生きる気力がだんだん感じられなく
なってきていました。
また、認知症も少し出てきていて時々なんの話をしているかわからないことも
ありました。
昔の威厳があって好き放題の父はどこに行ってしまったのかと思うぐらい
弱々しく別人のようでした。
おそらく父は入退院を繰り返し足腰が弱くなり自分一人で歩けなくなって
きたことで、毎日自分で動ける体の自由がなくなり生きるのが楽しく
なくなったのだと思います。
それに好きなものが自由に食べられなくなったのも気力を奪った原因だと思います。
そんな父を見て私は最後まで自分の足で歩ける元気なおばあちゃんでいようと
思っていました。
そして死ぬまで健康で楽しく幸せに暮らしたいと。
父に最後に会ったのは亡くなる1ヶ月ほど前の年末でした。
その時は元気にしていましたが父の病室を離れる時、
父が私の顔をみる姿がお別れを言っているように見えて、
もしかしたらこれが最後かもしれないと言う感覚に襲われました。
その予感は残念ながら当たってしまい、翌月末に病院で息を引き取りました。
死に目には会えませんでしたが私は元気な時に会えてよかったと思いました。
そして会社を休んで実家に帰り、母と妹と3人で近くの式場で父をみおくりました。
【父のエンディングノート】
父の四十九日に実家に帰った時に父が生前に書いたエンディングノートを
見せてもらいました。
そこで、自分が想像した父の思いとの答え合わせができた気がしました。
私が成人前までは父にはダメ出しばかりされて、母親のことは見下していて
子供の教育には関わらず、自分の好き勝手ばかりしている人と、
母も妹も父をよく思っていませんでしたが、
私は実のところ社会人になるまで父がよく分かりませんでした。
でも、父との手紙のやり取りで父の気持ちが少しは分かっていたのと、
父とどこか似た感覚を私も持っていたからだと思いますが、
エンディングノートを読む前からなんとなく内容の予測はできていました。
実際見てみると自分の思いを答え合わせするように父の生まれた時代の影響、
祖父の存在が潜在意識に根深く刻まれてしまったことが読み取れました。
父にはどうしても解消できない悩みがあって自分が愛情表現がどう言うものかが
わからないと言うことでした。
育った環境が影響して悩みをどうしても解けないものにしてしまっていたことを
可哀想に思いました。
それに父には悩みを打ち明けたり相談できる人が周りにいなかったからだと思います。
父は自分の父親が嫌いで家を飛び出した人でしたから父親のようにはならないと
思っていたと思います。
でも強烈な存在だった祖父が父の心の奥底に埋め込んだ記憶を書き換えることは
自分一人では無理だったんだろうと思いました。
結局愛情表現がなにかそれをどう表現してよいかも分からず苦しんでいたことを
改めて感じました。
また、母への思いが綴られていましたが、母をとても好きだった事が伝わる内容でした。
母は優しくて、手先が器用で、お料理が上手で、健康な人でした。
母の両親もとても温かい人でしたが、そんな家庭に父は憧れを持ったんだと思います。
それに純粋で温かい母に本当はとても感謝していたのだと思います。
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